Mesopotamia メソポタミア ③

ヒッタイト、ミタンニ、バビロニア、エジプト

ここを束ねたのが、アッシリア。ミタンニ王国から出てきた民族が、オリエントを統一した。アッシュールが都。今のイラク。50年後、弱体化して4つに分裂。

ヒッタイト地域が、リディアになり、(リディアは優秀、貨幣の概念、金属貨幣を生み出した)

ミタンニ+カッシートが、メディア王国になり、

シリア=セム系が、カルディアになり(新バビロニア)

エジプトは、エジプトのまま

この4つを取り込んだのが、ペルシャ。

インドの国境あたりから、ギリシャの一部、エジプトまで取ったペルシャ王国。

強かった。

今のイラン。アラブ人とは違う。ペルシャ人。

アケメネス朝ペルシャ。

アッシリアは、50年で滅亡。アケメネス朝は、300年続いた。

続いた理由は、これ。

他民族、多言語の集まり。アッシリアは武力で制圧。

アッシリアの恐怖はエジプトの武器を買える金持ちたち。彼らを強制的にニネヴェに連れていき強制労働させた。このようなことをしていたから潰された。

一方、ペルシャは、アッシリアの轍を踏まないような統制をした。言葉が違う人、思想が違う人、生き方が違う人、そういう人たちをどうまとめるか。

ペルシャの首都スサ。どう統治したか。

好きなようにさせた。寛容的。税は納めろ。寛容すぎるのはダメ。押して引いて、押して引いて。

アッシリアは、威圧して武力で支配

ペルシャは、寛容、自治を重んじた支配。

  政治上の首都は、スサ

  夏の都は、エクバタナ (メディアの首都)

  冬の都はバビロン (新バビロニアの首都)

  お祭りをするときは、ペルセポリス。年に1回、全国からお土産を持ち寄ってペルセポリスに集合。今の遺跡は、アレクサンダー大王が破壊したため、門しか残っていない。しかし、門の裏側には、たくさんの民族の姿の彫刻がある。

  サルデス(ギリシャ)とスサの間に王の道を作った。交易の発展。

人々の気持ちをうまく取り込んで国を運営した。

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