Mesopotamia メソポタミア ①

チグリス、ユーフラテス

肥沃な三日月地帯

現在のイラク。なかなか気軽には行けない場所。メソポタミア。

川の周りに低い山脈がある。その山脈が防備の役目を果たしている。山脈に囲われていると防備がしっかりしているように思えるが、ところが、皮肉にも低い山脈があることでむしろ外敵に責められやすい地形なのだそうだ。低い山が壁の役目になり、敵が潜んでいることがわからないかららしい。その結果、民族の入れ替わりが激しい。征服の歴史。国が変わる、のではなく、民族が時代ごとに変わる。

紀元前2800年 シュメール人

都市国家

紀元前2400年 アッカド人

初めて統一した民族

紀元前1900年 アムル人

首都バビロン。バビロニア王国と呼ばれている。現在は、バビロンという町はもうない。バビロニア王国は、ハンムラビ法典(パリのルーブル美術館にある)

身分の差、復習法、過失か故意の区別ができた。3800年も前に故意か過失の概念ができていた。目には目を、ではあるが、全員同じではない。ここは誤解しがち。貴族が奴隷を殺すのと、奴隷が貴族を殺すのは罰がまるで違った。

紀元前1700年 ヒッタイト人、ミタンニ人、カッシート人

ヒッタイトはインド・ヨーロッパ語族。戦車と馬と鉄。強い。ヒッタイトの遺跡はしっかりと残っている。トルコのハットウーシャ遺跡。ヒッタイトといえば、『天は赤い河のほとり』。少女漫画。うっそみたいな設定だけど楽しめる。

紀元前1300年

海の民

セム系3民族

ヒッタイトの遺跡はきちんと残っている。ハットウーシャ遺跡は世界遺産。現在のトルコのアナトリア高原。他民族から破壊を受けていないエジプトの遺跡ももちろんしっかり残っている。しかし、メソポタミア地域は、さまざまな民族がミルフィーユ状態で入り乱れ、征服され、破壊され、遺跡はほぼ残っていない。バビロニア王国の遺跡が少し残っている程度。あのハンムラビ法典の石でさえ、発見されたのは1900年初頭。スサで発見された。

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