ピラミッド、スフィンクス、ツタンカーメン、世界三大うざい国、そして、ナイルの賜物!ちなみに、『エジプトはナイルの賜物』といったのはヘロドトス。ヘロドトスは、古代ギリシャの歴史家。”The father of history”と呼ばれる人物。人類で初めて歴史を体系的にまとめた人で、著書は『ヒストリア』。過去の出来事の単なる記録ではなく、その原因や背景を探るという「歴史的な思考」をした人。かっこいい響き。当時は神話中心の世界。その神話から離れて、現実の人間の行動に焦点を当てた。
さて、地理
ナイル川は、とてもまじめな川。毎年、同じ時期に必ず氾濫をおこして、肥沃な黒土を運んできてくれる。砂漠の中の緑がお見事。しかし、この辺りは、なぜこんなに砂漠化しているのだろう。

氾濫が災害ではなく恵みであることを理解していた古代エジプト人。賢い。シリウスが夜明けとともに地平線に上る日から氾濫が始まることを知っていて、その日を基準にして、氾濫の時期、種まきの時期、収穫の時期の3つに1年を分けて暦を作った。そう、これが太陰暦。6000年前にはすでに太陽暦はあった。1年365日、1日24時間、昼12時間、夜12時間だってわかっていたって。賢すぎる。で、農閑期に、国民のほぼすべてを占める農民らにピラミッドを造らせた。つまり、ピラミッドもナイルの賜物なんだね。
さて、歴史

古代は、ナイル川の上流を上エジプト、下流を下エジプトと呼ぶ。地図上では、下から上にナイル川が流れているから、下が上エジプト、上が下エジプトとなる。古王国の首都はメンフィス。ナイル川を挟んで、右側がカイロ、左側がギザの街。その西にメンフィスがある。ピラミッド。

Googleの航空写真でみるとこれ。茶色い。でも、見事に正四角形。美しい。

紀元前3000年 古王国
ピラミッドが造られ始める。農閑期にピラミッドを建造していた。クフ王のピラミッドが最大級。
紀元前2100年 中王国
都は、テーベ。テーベは、現在のルクソールの中にある。

ルクソールはこんなに上流にある。上エジプト。いまひとつ、強くなかった。ヒクソスにやられた。ヒクソス(ヒッタイト)は、鉄と戦車を持った遊牧民。ヒッタイトといえば、少女漫画『天は赤い河のほとり』だ。
紀元前600年 新王国
ヒクソスを追放した。新王国は強かった。アメンホテプ4世が登場する。都をテーベ(ルクソール)から、アマルナへ移す。

この政治的な遷都は、宗教改革、そして富の集中が目的。中王国テーベの時代、富は神官に集中していた。ファラオではなかった。多神教。神はたくさんいて、太陽神ラーがトップの座、その下にそれぞれの都市の神がいる。神官は金を集めまくり、ファラオよりリッチだったという。太陽神ラー。鳥人間?火の鳥のイメージか。かわいい。

テーベでは、アモン神が人気で、大衆は、ファラオではなくラー神の言葉がわかるといわれる神官のいうことに従う傾向があった。ファラオに従ってなかった。そこで、アメンホテプ4世がとった策は、一神教。アモン神ではなく、アトン神のみを信じろ。つまり、『おれの神様』を信じろ。それ以外の神は禁止された。唯一神。つまるところ、富と権力の一点集中。そして集めた金で、芸術にも力を入れる。外国から芸術を輸入しまくった。この時代の芸術は、アマルナ美術と呼ばれている。アメンホテプ4世は奥さんもメソポタミアから仕入れたらしい。確かに、美人だ。ネフェルティティ。

そして、もう一人の有名人が、ラムセス2世。自分大好き人間である。「史上最も偉大な王」と称えられている。そこらじゅうに自分の名を刻ませた銅像、神殿あり。ヒッタイトと戦ったガデシュの戦い。事実は引き分けだったらしいが、自らの勝利として宣伝。奥さんもたくさんいて、子供は100人以上いたらしい。そして、90歳近くまで生きたらしく、ご遺体は、カイロのエジプト文明博物館でみることができる。有名なアブシンベル神殿。4体とも全部自分。すごいわ。

紀元前11世紀 末期王国
他国に征服された時代が続いた。ペルシャ王国、アレクサンドロス大王
ヒエログリフとパピルス
ロゼッタストーンを手掛かりに解読された。パピルスはPaper(紙)の語源。
十進法と太陽暦、測地術
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